感情と心

感情で流す涙は一体なにを排出しているのか


泣いてスッキリするのは、気のせいではない。あなたの体は、涙という形で、ある物質を文字通り体の外へ捨てている。


「泣いたらスッキリした」は、本当にただの気分の問題なのか

つらいことがあって、こらえきれずに泣いたあと、なぜか少し楽になっている。多くの人が経験するこの感覚は、長いあいだ「気の持ちよう」として片付けられてきた。

だが、涙そのものを化学的に分析した研究者がいる。そして彼が見つけたのは、悲しみの涙が、ただの塩水ではなかったという事実だった。

悲しみの涙と、玉ねぎの涙は、別の物質でできている

アメリカ・ミネソタ州のラムジー医療センターで、生化学者ウィリアム・フレイ2世は数十年にわたって涙を研究してきた。彼は人間の涙を3種類に分類する。目を潤すための「基礎の涙」、玉ねぎや異物で出る「反射の涙」、そして強い感情で流れる「感情の涙」だ。

フレイがこの3つを集めて成分を比較したところ、感情の涙だけが、明らかに異なる化学組成を持っていた。感情の涙には、ストレスを受けたときに体内に増えるホルモン——副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)や、天然の鎮痛物質であるロイシン・エンケファリン、母乳の分泌を司るプロラクチンなどが、より高い濃度で含まれていたのだ。反射の涙が約98%が水であるのに対し、感情の涙はタンパク質の濃度が24%も高かった。

つまり、悲しくて流す涙は、玉ねぎを切って出る涙とは、物理的に別の液体だった。

涙は、ストレス物質を体の外へ運び出している

フレイはこの結果から、ある仮説を立てた。感情の涙は、ストレスによって体内に溜まった化学物質を、体外へ排出するための仕組みなのではないか、と。泣くという行為は、感情の発散という比喩ではなく、文字通り「ストレスホルモンを目から捨てる」生理現象かもしれない、というわけだ。涙が体内のマンガン(気分に影響する元素)の濃度を下げることも報告されている。

ただし、この説には慎重な留保もつく。感情の涙に含まれるホルモンの量はごく微量で、それが本当に体調を改善するほどの「排出」と言えるのかには、異論もある。涙の真の役割は、物質の排出ではなく、他者に「助けが必要だ」と伝える社会的なシグナルにあるという見方も有力だ。なぜ人間だけが感情で涙を流すのか、その決定的な答えは、実はまだ出ていない。

それでも、「悲しみの涙が化学的に特別である」という一点だけは、確かな事実として残る。そして奇妙なことに、人類はこの事実を、科学が分析するずっと前から感じ取っていた。

涙は「魂を洗う」と、人類は知っていた

世界中の文化に、涙を「浄化」と結びつける感覚が共通して存在する。

日本には「涙を流すと心が洗われる」という古い感覚があり、近年では意図的に泣くことで心を整える「涙活(るいかつ)」という言葉まで生まれた。涙によって悲しみそのものを体の外へ流し出す、という発想だ。

キリスト教の伝統では、涙は悔い改めと魂の浄化のしるしとされてきた。「涙の賜物(ギフト・オブ・ティアーズ)」という概念があり、流す涙は神に近づくための恵みとして肯定的に語られる。仏教やヒンドゥー教の文脈でも、涙はしばしば執着を手放し、心を澄ませる行為として捉えられてきた。

形は違っても、根にある直感は一つだ——涙は、目に見えない重たいものを、体の外へ運び出してくれる。

あなたが泣くとき、何かが本当に出ていく

科学は「ストレスホルモンの排出」と呼び、信仰は「魂の浄化」と呼ぶ。だが両者が見つめているのは、同じ一つの現象だ——人間は泣くことで、内側に溜まった何かを、文字通り外へ出している。

だとすれば、「泣くのは弱さだ」という考えは、生理学的にも逆なのかもしれない。涙をこらえることは、本来体の外へ出すべきものを、内側に溜め込むことなのだから。人はなぜ音楽で泣けるのかという問いも、涙が単なる感情の余りものではなく、人間にとって必要な何かであることを示している。

次にあなたが泣くのをこらえそうになったとき、思い出してほしい。その涙は、あなたが捨てるべきだった何かを、運び出そうとしていたのかもしれない。


参考文献

  • Frey, W.H. II『Crying: The Mystery of Tears』Harper & Row、1985年
  • Gračanin, A., Vingerhoets, A.J.J.M. ほか「The neurobiology of human crying」Clinical Autonomic Research、2018年
  • American Academy of Ophthalmology「All About Emotional Tears」

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