巨額の富を手にすれば、ずっと幸せになれる——誰もがそう思う。だが実際に宝くじ当選者を調べた研究は、意外な事実を突きつけた。人の幸福感には、上げても勝手に元に戻ってしまう仕組みがあった。

もし宝くじで大金が当たったら、人生はずっと幸せになる。逆に、事故で体の自由を失ったら、その後の人生は不幸なままだろう——多くの人が、当然そう考える。ところが、実際にこの両者の幸福度を調べた研究は、私たちの直感を根底から裏切る結果を示した。人間の幸福感には、どれだけ良いことが起きても、そしてどれだけ悪いことが起きても、しばらくすると元の水準へと戻ってしまう、不思議な仕組みが備わっていたのだ。
当選者は幸せで、麻痺した人は不幸、のはずだった
1978年、心理学者フィリップ・ブリックマンらは、ある大胆な比較研究を行った。彼らが調べたのは、二つの対照的なグループだ。一つは、巨額の賞金を手にした宝くじの当選者22人。もう一つは、事故によって下半身または全身が麻痺した人29人。そして比較のための一般の人々。
常識的に予想すれば、結果は明らかに思える。宝くじ当選者は人生の絶頂にいて、非常に幸せなはずだ。逆に、事故で身体の自由を失った人は、深い不幸のただ中にいるはずだ。両者の幸福度には、天と地ほどの差がついていて当然——そう思うのが自然だろう。だが、研究者たちが実際に測定した結果は、この予想とは大きく異なっていた。
幸福度の差は、驚くほど小さかった
まず宝くじ当選者。彼らは、一般の人々と比べて、際立って幸せというわけではなかった。大金を手にしたにもかかわらず、その幸福度は、宝くじに当たっていない普通の人たちと、ほとんど変わらなかったのだ。
そして、さらに驚くべきは麻痺した人々の方だった。彼らはたしかに事故直後には幸福度が下がっていたが、研究の時点では、予想されるほど不幸のどん底にいるわけではなかった。それどころか、彼らは自分たちの幸福度を、尺度の中間点よりも上、つまり「不幸というより、むしろ幸せ寄り」と評価していた。さらに彼らは、「数年後には、普通の人と同じくらいの幸福度に戻っているだろう」と予測していた。人生を一変させるほどの出来事——巨万の富も、身体の麻痺も——その衝撃は、時間とともに驚くほど薄れ、幸福度は元の水準へと引き戻されていく。この現象は「快楽順応」あるいは「快楽のトレッドミル」と呼ばれる。どれだけ走っても、同じ場所に留まり続けるランニングマシンのように、私たちは幸福を追い求めても、結局は元の地点に戻ってしまう。
大金は、日常の「小さな喜び」を奪っていた

この研究には、もう一つ、ぞっとするような発見があった。宝くじ当選者は、ただ「思ったほど幸せではなかった」だけではない。彼らは、日常のありふれた喜びを、当選していない人々よりも、感じにくくなっていたのだ。
友人とのおしゃべり、朝食を味わうこと、面白いテレビを見ること、褒められること——こうした小さな日常の喜びから得られる楽しさを、当選者たちは以前より感じられなくなっていた。なぜか。研究者たちは、これを「コントラスト効果」で説明する。宝くじ当選という、あまりに強烈で巨大な快感を一度味わってしまうと、それが新しい基準点になってしまう。その途方もない高揚と比べると、日常の些細な喜びは、色あせて、取るに足らないものに見えてしまうのだ。人生最大の喜びを手にした代償として、彼らは、日々を彩っていた無数の小さな喜びを、静かに失っていた。幸福の最大値を一度引き上げてしまうと、その後の平凡な幸せが、割に合わなくなる。
「足るを知る」という、古くからの知恵

この「快楽のトレッドミル」という科学的発見は、実は古今東西の精神的伝統が、繰り返し説いてきた知恵の、そのものの裏付けでもある。もっと多くを、もっと大きな快楽を——という際限のない欲望の追求は、決して満たされることのない渇きである、という教えだ。
仏教は、この満たされない渇き(渇愛)こそが、苦しみの根源だと説いてきた。次々と新しい快楽を求め続けても、それに慣れてしまえば、また新たな刺激が必要になる——この終わりのない循環から降りることを、仏教は「解脱」への道とした。また、老子の「足るを知る者は富む」という言葉や、多くの宗教が説く「感謝」や「知足」の教えも、同じ真理を指している。外部の巨大な出来事に幸福を託すのではなく、今ある当たり前のものに喜びを見出すこと。これこそが、トレッドミルから降りる唯一の方法だと、伝統は語ってきた。快楽順応の研究が示すのは、この古い知恵が、単なる道徳的な理想論ではなく、私たちの脳と心の仕組みに根ざした、極めて実際的な処方箋だったということだ。伝統はそれを足るを知ると呼び、科学はそれを快楽順応への理解と呼ぶ。
「渇愛からの解脱」と「トレッドミルから降りる」は、同じ道を指している
満たされない欲望が苦しみを生むという古くからの洞察と、幸福は基準点に戻ってしまうという心理学の発見。両者は、同じ一つの真実——「外部の出来事で幸福の総量を増やそうとしても、人はそれに慣れて、元に戻ってしまう」——を、別の言葉で語っている。伝統はそれを渇愛からの自由として、科学はそれを快楽のトレッドミルとして描く。
この研究が私たちにくれる示唆は、少し逆説的だ。幸せになるための最も確実な道は、より大きな快楽を追い求めることではなく、むしろ、今ある小さな喜びを、慣れきってしまわずに味わい続けることかもしれない。宝くじに当たることよりも、朝のコーヒーを美味しいと感じられる心の方が、長い目で見れば、幸福に近いのだ。
この記事は幸福感や心の健康というテーマを扱っています。気分の落ち込みが続くなど、つらさを感じている場合は、一人で抱え込まず、信頼できる人や専門家に相談することも大切です。
参考文献
- Philip Brickman, Dan Coates, Ronnie Janoff-Bulman “Lottery winners and accident victims: Is happiness relative?” Journal of Personality and Social Psychology、1978年
- Philip Brickman & Donald Campbell “Hedonic Relativism and Planning the Good Society” 1971年(快楽のトレッドミルの概念)
- Ed Diener, Richard Lucas et al. 幸福の設定値理論に関する再検討、2006年


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